ここでは、F1品種に対する考えを書いてきます。
結論
まず結論からいいます。
F1品種の仕組み自体は自然に起こりうることですから、その仕組みを利用して、人間が特定の品種改良を試みるというのも、自然の延長のようなものだと思っています。
私は自家採種を前提としているので、形質が固定されている品種を利用しますが、F1品種自体は悪いものだと思っていません。
しかし、雄性不稔の技術(?)を利用したF1品種は別です。
これは仕組み的に不自然が過ぎるため使おうとは思えません。
もっと言えば、人類が手を出すべきではない領域ではないかとすら思っています。
F1品種とは
F1品種とは、違う形質の親同士をかけ合わせたときに、その子に、一方の形質だけが現れるというのものです。
中学校の理科の授業で、2種類のエンドウ豆(マルとシワ)同士をかけ合わせると、その子供は全部マルだけになる(シワの形質がでなくなる)というのを習ったと思います。
あるいは親子の血液型で、AAの遺伝子を持つA型の父親と、BBの遺伝子を持つB型の母親からは、必ずAB型の子供が生まれてくるというのも同じ考え方です。
※A型にはAAタイプとAOタイプ、B型にはBBタイプとBOタイプがあります
で、この”掛け合わせ”自体は、自然界でも普通に起こっています。
というかむしろ、この仕組みがあるからこそ、生命は多様性を保ちながら今日まで生きながらえたのでは、くらいに思っています。
なので、人間が品種改良にこの技術を利用したとしても、それは自然の延長と考えられるので問題視していません。
雄性不稔とは
ですが、先程も書いたとおり、雄性不稔を利用したF1品種は問題だと思っています。
雄性不稔とは、簡単に言えば、遺伝子のバグで花粉を出せない植物のことです。
多くの植物は、1つの体に雄しべと雌しべを両方持っています。
そして、雄しべから花粉が飛び、自身の雌しべだったり、他の雌しべだったりで受粉して子孫を残します。
が、雄性不稔の植物は、最初から雄しべを持っていません。
人間でも極稀に起こりますが、遺伝子のバグで花粉を作れない身体で生まれてしまったのです。
で、この雄性不稔の個体を利用すると、品種改良が非常に効率的に行えるんですね。
だから、現在の市販の種は、どんどん雄性不稔を利用したF1品種になっているようです(伝聞)。
ただ、です。
先程も書きましたが、雄性不稔とは遺伝子のバク=異常です。
数万なのか数十万なのかは定かではありませんが、とにかくレア。
しかも、花粉が出ないのです。これは人間で言えば男性器のない男性のようなものです。
実際には、人間と植物とでは大きな隔たりがあるでしょうが、本来備わっているもの(=雄しべ)がないという異常性はさほど変わらないのではと考えています。
このような不自然さが私には受け入れられないため、現在世に出回っているF1品種は積極的に使いたいとは思えません。
また将来、日本の食卓が雄性不稔を利用した品種で埋まることを危惧しています。